茨城県岩瀬町(現 桜川市)にて、農家兼工務店を経営する父と母の元、一男一女の末っ子一人娘として誕生。
代々続く古い家で、生まれた当時は、曾祖父、曾祖母、祖父、祖母、父母に加えて、まだ小中学校に通う叔父達や叔母等、総勢10人以上の大家族。
2歳上の兄、12歳違いの叔母、14歳違いの叔父達とともに曾祖母に主に育てられた。
毎日、山や川で遊び、ど田舎のおてんば娘として成長。
中学校入学当時の身長は134cm、体重は29㎏。
テニス部に入部し真っ黒に日焼けした日々を過ごす。
高校~短大までお琴を習い奥伝を習得、少しだけ控え目?に見える大人に成長。
この地元の高校で同じクラスだったひげパパにひとめぼれした、という黒歴史➀あり。
真っ黒だった顔が若干白くなった20歳、東京に上京し幼稚園免許&保母資格を取得したにも係わらず、全く無関係の建設会社に就職。
高校の同級生、黒歴史➀の張本人wひげパパと結婚、翌年1984年長女ナッツイ(現東十条店美容師兼モデル)出産、その翌年の1985年に茨城県筑西市にて美容師のひげパパと美容室「かっとはうす あっち」を開店。
姑さんの手植えしたかつらにパーマや調整をしたりしながら順調に美容室を営業。
1990年 30歳の時 二女さや(現 東十条店スタッフ兼モデル)出産。
その後、この美容室でひげパパのお手伝い等の接客をしながら髪の毛の何ぞや…を学びつつ近くの保育園で保母としてパート勤務等しながら子育てに勤しむ…
また、茨城県水戸市にお子様連れでも安心の保母さんのいる姉妹店「美容室こっち」や、同筑西市に「美容室 あ」など3店舗を夫婦で開店するなど、大忙しの日々を過ごす。
そんな忙しい日々のため、姑さんが一生懸命植毛した大切なオーダーメイドのかつらを、誤って洗濯機に入れて使い物にならなくしてしまう…という黒歴史➁がある。
そんな嫁の失敗にも笑って再度植毛し直してくれた優しくて大好きな姑さんを思いだすと今でも泣いてしまう涙もろい部分あり。
2000年、ひげパパの母、あっちママの姑さんにあたる大好きだった2代目かつら職人が亡くなったその年に「江戸屋義髪調整所」を引き継ぎ、「かつら専門店あっちパパ」として茨城県筑西市にて開業。
2003年には東京都北区に東十条店を開店し、茨城県から電車で通いながら営業開始。現在の東十条店は、長女ナッツイと二女さやが毎日元気に営業中~!
2023年現在、あっちママは今年63歳になる。今日も元気に茨城店で働いております~!!
かつら専門店あっちパパでは、当初、他のかつら店さん同様に主にオーダーメイドの製品に限ってかつらを作成していた。
当時のお客様のほとんどがやけどでの脱毛であったため、張り付ける形での特殊なかつらを作成をしていた。
その後、抗がん剤や円形脱毛症等での相談が相次いだこともあり、全頭用の医療用ウィッグの作成を始めた。
当時の医療用ウィッグは固いネットの重く植えこまれた製品が多かったため…あっちママは日々自分の頭を元に軽量でフィットし、装着簡単でしかも見た目がリアルな医療用ウィッグの試作品の作成にまい進してきた。
そんな営業してすぐのある日、ふと気がついたのが、伸びるネットでの作成だった。思い立ったら即行動…
すぐに作成。
これが後々、現在ではよく目にする「ネットの素材が全て伸縮ネット」の医療用ウィッグである。ここから、その頃はウレタンや肌色ネット皮膚が主流であった当時の医療用ウィッグの皮膚、分け目の仕様を変えることに集中するようになる。
他店様の研究の末の製品を研究…自分の頭はその研究材料…
その結果、現在、シルク皮膚はもとより、サイズもSS展開をするなどしてフィット感と見た目によりこだわった医療用ウィッグ作成を心掛けて、更に試行錯誤をしている最中です。
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